カリスマライター・松谷創一郎がSMAP解散について、モーニング娘。'15の檄文を補助線として引用して語る

1 : 【中国電 86.0 %】 ◆fveg1grntk @\(^o^)/ [] :2016/12/27(火) 21:05:20.70 [0.net]
http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20161227-00065908/

夢や希望を語ってきたSMAP
『スマスマ』最終回は、なんとも悲壮なものだった。それまで楽しかった19年分の総集編を観せられていただけに、悲しくてやりきれないものがあった。
もちろんその前提には、あの"謝罪会見"がある。あのことによって、『スマスマ』の最終回の葬式ムードはよりいっそう強いものになった。
その悲しさと同時に湧いてくるは、アイドル(あるいはエンターテナー)の終わりがこのような悲しさに満ちたものでいいのか、という強い疑問だ。
ここでひとつ補助線を引こう。それは2015年4月にモーニング娘。'15が、東京・新宿駅の地下道に掲示した広告だ。そこには、彼女たちの以下のような「宣言」がある。

夢とか希望は、私たちのアイドルの仕事だ。
アイドルってなんだ? 歌う、踊る、笑う、それだけの存在か? いや、きっと違う。私たちモーニング娘。は違うと信じている。アイドルとは、最後まで夢とか希望を語れる人のことだ。
もし誰もそれを語らなくなっても、夢の大切さを、希望の在り処を、伝えつづけられる人のことだ。18年目の私たちは今、その新年を新たに歌う、踊る、笑う。18年目の新体制、モーニング娘。'15だ。

この一文は、文化産業に携わるさまざまなひとの心に刺さるものだった。とくに「アイドルとは、最後まで夢とか希望を語れる人のことだ」という部分がそうだ。
実際、震災直後に多くの芸能人が現地に入り、活動を続けた。それは被災者のひとたちに夢や希望を感じさせることに繋がったはずだ。
そしてこの「アイドル」の部分には、ほかの言葉も代入可能だ。「エンタテインメント」でも「マンガ」でも「映画」でも「音楽」でも、もちろん「SMAP」でもいいだろう。
しかしあの"謝罪会見"や、それによって生じた『スマスマ』の最終回は、SMAPがもう夢や希望を語れない存在になったことを白日のもとに晒した。それが、われわれの感じる悲しさの正体だ。

2 : 【中国電 86.0 %】 ◆fveg1grntk @\(^o^)/ [] :2016/12/27(火) 21:11:51.73 [0.net]
>夢とか希望は、私たちのアイドルの仕事だ。

これ改めて読むと名文だな
一連のSMAPの騒動を見た後だと余計に